思わぬ仕事が入った。小遣い稼ぎであるのも事実だが、春哉にはそれよりも大きな目的があった。『浮橋』の旦那への恩返しである。
数馬が半ば強引に春哉を身請けしてからというもの、『浮橋』の経営状態はお世辞にもいいとはいえないらしい。そのため、旦那が数馬を煙たがっていることは明白であった。
それは春哉にとって心苦しいことであった。せめて『浮橋』の状態を建て直し、旦那の負担を軽くさせたい。そのためには夢丸を一人前の陰間に育て、なおかつ自分の後を継ぐ花形として君臨させてやることが大事だった。
春哉はこれまでにも陰間に芸事を教えたことがあるが、その教え方は他に例を見ないほど厳しく、途中で音をあげる者が後を断たなかった。芸事のことになると一切の妥協を許さない。それが春哉のやり方である。
その厳しさに夢丸はついてこれるのか。春哉はこの点をしっかりと確かめたかったのだ。
門をくぐればそこは花街。夜のそこを春哉、夢丸、数馬の三人が歩いているが、なにぶん人目を引く。理由はただ一つ。かつての花形・春哉が当時と変わらぬ美貌を保ったまま、この花街を闊歩しているからだった。この街の顔である女郎達も懐かしい顔に思わず見とれている。
女郎屋が数多く立ち並ぶ中、陰間茶屋『浮橋』はなかなか目立つ場所にあった。一見して高級そうな佇まいだが、花形が不在であることが影響してか、当時に比べて多少精彩を欠いているように思われた。
春哉にとっては懐かしい濃紺の暖簾をくぐると、昔懐かしい声が三人を出迎えた。
「いらっしゃいまし……おう、夢丸か。早かったのぅ」
『浮橋』の旦那・清兵衛は夢丸を見ると帳台から立った。一見上品そうな老人だが、この花街で一番の陰間茶屋を何十年と仕切っているだけあって、ただ者ではない雰囲気を醸し出していた。
清兵衛は夢丸の後から入ってきた数馬と春哉に目をとめると、何ともいえない表情のまま近寄ってきた。
「……春哉……久しぶりじゃな」
「はい。旦那様、お元気そうで何よりです」
「……お前がいなくなってから、この店には以前のような活気がなくなった。お前を越える陰間も現れぬし……あの時、やはりお前を手放すんじゃなかったよ」
「旦那様には申し訳ありませんが、私は今、とても幸せなのです。数……真木様と共に在ることができて、とても。ですから……」
ちらと隣の数馬を見やる。数馬はあさっての方向を見ていたが、耳まで真っ赤に染めている。
「おぅおぅ、幸せそうで何よりじゃ。真木様も一瞥以来じゃがお変わりのぅございますな」
清兵衛は嫌味を込めて数馬を睨む。数馬は店の花形の心を奪った憎き男である。このくらいの仕打ちは仕方がない。数馬も顔の筋肉だけで適当に微笑んでおく。
「旦那様、お話はそのくらいにして……」
剣呑になりかけた雰囲気が夢丸の一言で変わった。心なしかその時の夢丸が不機嫌そうだったことに春哉だけが気付いた。
「そうじゃな。……春哉。話はもう聞いているじゃろうが、この夢丸に芸事を仕込んでやって欲しいのじゃ。本来ならば然るべき師に就かせるのが筋じゃが、夢丸がどうしてもお前でないと嫌じゃと言うて聞かぬのじゃ。幸いお前は芸事に精通しておったし、陰間としての所作や心得などはまさに模範的じゃったろう?それを一から夢丸に仕込んでやって欲しいのじゃ。もし通いが辛ければ部屋をあてがうが?」
「お気遣いは無用にございます。真木様のこともありますし」
たしかに数馬のこともある。だが、それはあくまでも表向きだ。部屋をあてがわれてはそれこそ家に帰れなくなる。そのまま流されてまた陰間に逆戻りなんてこともあるかもしれない。わざわざ部屋をあてがうあたり、おそらく清兵衛もそれを目論んでいるのだろう。
春哉も数馬もその思惑に勘づいていた。
「……さようか。ならば早速頼む。夢丸、早う案内いたせ」
「かしこまりました。春哉様、こちらへどうぞ。……真木様も」